伝承千百五十年の歴史
受け継がれる伝統の技

ヤマダイ大蔵の歴史

平安時代の第55代「文徳(もんとく)天皇」の第一皇子椎嵩親王(これたかしんのう)が、木の実の殻を見てお椀を作ることを思い立ちました。
法華経の巻物が回転する様子を見て「ろくろ」を思いつかれ、椎嵩親王の家臣、小椋大臣実秀(おぐらおとどさねひで)大蔵大臣惟仲(おおくらおとどこれなか)が木地師の技術習得を命じられたことから始まりとされています。

江戸時代には木地師たちを保護・統括する目的で支配所が設けられます。木地師の祖神として惟喬親王を祭った大皇器地祖(おおきみきじそ)神社や筒井神社、惟喬親王が暮らし、「高松御所」と呼ばれた金龍寺などがあり、この地の役人が木地師を訪ね歩き、往来手形や免状を発行し、木地師たちが全国を自由に通行できるようにしました。

御綸旨の写し

近江の州(国)愛知郡小椋庄筒井(えちぐんおぐらのしょう)
轆轤師職頭(ろくろししょくとう)の事、四品の位の
小野宮(惟喬親王)が製作した轆轤師の職を相勤めていることは
神妙である。専ら優れた器質を求めるために
諸国に山入りする必要があるが、西は櫓櫂立つ程、東は駒蹄の通る程の範囲を免許する。
これは天皇のお気持ちである。よってそのように執達する。

承平五年(九三五年)十一月九日
器杢之助(うつわもくのすけ)

現在の「木地師の里」は明治時代に水利が良いことから、木地師が移り住み集落が形成されました。
古くからの技術を継承しつつ、ろくろは手挽きから水車動力そして電動ろくろととなり生産性を向上。
昭和五十五年には国の伝統的工芸品の産地に指定。
平成二十八年には「日本遺産・木曽路はすべて山の中」の構成文化財に認定されました。

木地師(きじし)

ろくろを用いて、椀・盆などを作る職人のことを「木地師」(きじし)と呼びぶ。木地師は樹木の伐採や木工の過程で独自の道具と技術を保有し、良材を求め一ヶ所に定住することなく全国各地を渡り歩く特殊な職能集団でした。

南木曽

南木曽町は山間に位置する町で古くから交通の要街でした。古くには吉蘇路、江戸時代には中山道が整備され宿場町として栄え、こうした歴史を背景に南木曽ろくろ細工は発展してきました。